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「投げられなくても...」県優勝投手が悩み抜いた”エースとしての在り方” 東北学院大・八鍬晃貴

八鍬晃貴(やくわこうき)。宮城県の高校野球ファンなら一度は目にしたことがある選手だろう。東陵高校(宮城県)のエースとして、6種類の変化球と抜群な制球力を武器に2016年春季宮城県大会で優勝に導き、宮城県を大いに沸かせた選手だ。春の公式戦では地区予選から東北大会まで11試合に先発し、7試合連続で完投するほどの驚異的なスタミナも見せた。その驚異的なスタミナと球速にこだわらず、打たせてとる「我流を貫くスタイル」で宮城県の高校野球ファンを多く魅了させてきた。

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春の県大会では37イニングを投げ、許した四死球は僅か1つ(写真は東陵高校時代)

高校時代のエースとしての在り方

 高校3年の春から八鍬の右肩は限界を迎えていた。それでも痛みを我慢してマウンドに上がり続けた。度重なる連投によって夏の大会2週間前には右肩がほぼ上らない状態に。最後の夏の大会はその場しのぎの治療とアドレナリンに頼り、最後までマウンドの座を守り続けた。何が何でもマウンドを守り続ける。それがエースとしての責任であり、当たり前のこと。そう思ってやっていたと当時を振り返る。

「もう野球は続けられないと思いました。それでもいいと思えるほど甲子園という存在が大きかったです。」

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バッテリーを組んだ菅原幸治さんは現在国士舘大学世田谷・準硬式野球部でプレーしている

「うちでのびのびやらないか?」

 大学では野球を続けないと決意していた八鍬。そこに一本の電話がかかってきた。その電話の相手は八鍬が現在所属する東北学院大準硬式野球部(略:学院大)の監督、伏見監督だった。あの東陵のエースが学院大に進学するが、硬式野球部にも軟式野球部にも所属していない。そんな情報が伏見監督の耳に入り、すぐに電話をかけたそうだ。

「電話がかかって来る前は野球を続ける気はありませんでした。大学では遊びも勉強もやりたかったので(笑)でも監督にうちでのびのびやらないか?と言われて、楽しくやれるならやってもいいかなと思って。」

入部することを決めた八鍬は、どうせやるならと入部までの半年間を肩の治療に費やし、本来の状態まで回復させた。

 

 再発した右肩痛

完全復活した八鍬は大学でも我流を貫いた。「僕は球速にはこだわらない」と語る八鍬は大学で更に制球力に磨きをかけた。多彩な変化球と糸を引くような制球力で、次々とバッターを打ち取る。三振数こそは少ないが、八鍬の登板する試合のペースは驚くほど早い。1年目の春季リーグでは新人賞を獲得し、堂々たる実力を見せた。続く2年目、3年目も結果を残し、3年春季リーグではベストナインも獲得。引退となる4年目も順調にいくと思っていた。最高学年となり、エースとしてチームを引っ張ると意気込んでいた、そんな矢先に過去の古傷にまた異変を感じた。過去と同じ痛みに焦りを感じる。

「今度こそ投げられなくなるかもしれない」引退までの時間の短さが不安をどんどん大きくしていく。キャッチボールでは塁間でさえ届かない。紅白戦でもマウンドに上がることはできなかった。

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3年秋には東北選抜にも選出された

新たなエースとしての在り方

「投げられないピッチャーがエースであっていいのか」背中で引っ張ていくのが”エースとしての在り方”と思っていた「高校時代の八鍬」ならそう思っていたのであろう。

だが、今の八鍬は違う。例え投げられなくても、エースとしてチームを引っ張る。ピッチャー陣で行うトレーニングも人一倍勢力的に取り組む。12人いるピッチャー陣を学年関係なく巻き込んでいく。「俺についてこい」ではなく「一緒にやろうよ」。そう意識して取り組む八鍬の姿勢に後輩たちも絶大な信頼を寄せている。

 

過去のように投げられない。結果を残せない。だからと言って価値がなくなったわけではない。それでも、チームとして何ができるか、他の選手がどうやったら活躍できるか、それを考え抜き、変化し続ける姿こそに価値がある。

「先頭を切りメンバーの前にでるのがリーダー」そんなリーダー像が当たり前とされえている世の中。だが、八鍬のように「背中を押しメンバーを前に出すリーダー」がいてもいいのではないだろうか。八鍬の姿勢を見るとそう染み染みと感じた。

過去の栄光にとらわれず成長し続ける八鍬。そこには多彩な変化球だけではなく、多彩な考え方があった。

 

(文・鈴木隼人、写真:東北学院大学準硬式野球部、本人提供)